Ricky Nelson
SONG | YEAR | RANK | |
For You | 1964 | 65 | |
Fools Rush In (Where Angels Fear to Tread) | 1963 | 61 | |
Young World | 1962 | 43 | |
Travelin' Man | 1961 | 23 | |
Hello Mary Lou | 1961 | 49 | |
Young Emotions | 1960 | 85 |
About Ricky Nelson
リッキー・ネルソン (Ricky Nelson, 1940年5月8日 - 1985年12月31日)は、アメリカのミュージシャン、俳優。
リック・ネルソン(Rick Nelson)とも呼ばれる。
本名はエリック・ヒリアード・ネルソン(Eric Hilliard Nelson)。
ニュージャージー州ティーネックで、バンドリーダーのオジー・ネルソンと女優のハリエット・ネルソンの次男として生まれる。
兄のデヴィッド・ネルソンは、後に俳優および映画監督となる。
まだ10歳にも満たなかった1949年より、ネルソンは両親および兄とともにラジオ番組「The Adventures of Ozzie and Harriet」に出演し、同番組は1952年から1966年までテレビで放映された。
また、個人としてはオムニバス映画『三つの恋の物語』(1953年公開)に出演している。
さらに、ネルソンはロックンロール歌手としても活動。
1957年4月に初のシングルを発表すると、収録されていた2曲(「ア・ティーンエイジ・ロマンス」と、ファッツ・ドミノのカヴァー「アイム・ウォーキン」)が両方とも全米トップ5入りを果たした。
1958年には「プア・リトル・フール」が全米1位を獲得。
ネルソンは、1950年代末期以降は俳優としても活動した。1959年には『リオ・ブラボー』で6年ぶりの映画出演を果たし、さらに1960年には、映画『南太平洋ボロ船作戦』で準主役として出演している。
6作目のアルバム『Rick Is 21』(1961年)以降、ネルソンは「リック・ネルソン」名義で音楽活動をするようになった。
同アルバムからは、シングル「トラヴェリン・マン」が全米1位を獲得したのみならず、B面の「ハロー・メリー・ルー」も全米トップ10入りを果たした。
1964年には「フォー・ユー」が全米6位に達するが、その後の1960年代後半は、シングル・ヒットに恵まれなくなる[4]。
1960年代後半になるとカントリーに傾倒し、その後、ストーン・キャニオン・バンドというカントリーロック・バンドを結成。
ストーン・キャニオン・バンドを従えて行われた1969年12月13日の公演(1970年発売のライヴ・アルバム『リック・ネルソン・イン・コンサート』に収録)には、後にイーグルスで活動するランディ・マイズナーがバンドの一員として参加した。
1970年にはウィリー・ネルソンの楽曲を取り上げたアルバム『Rick Sings Nelson』を発表。1971年のアルバム『Rudy the Fifth』には、再びマイズナーが参加した。
1972年にはアルバム『ガーデン・パーティー』からのシングル「ガーデン・パーティー」が、全米6位のヒットを記録して、ネルソンの生涯における最後の全米トップ10シングルとなった。
1975年、キース・ムーンのソロ・アルバム『Two Sides of the Moon』にゲスト参加[9]。同年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星を獲得した。
1981年、キャピトル・レコード移籍第1弾アルバム『Playing to Win』発表。
純粋な意味での新作スタジオ・アルバムは、これが最後となった。
1985年12月31日、チャーターした飛行機DC-3でアラバマ州ガンターズヴィルからテキサス州ダラスへ向かうが、飛行機事故によってネルソンは45歳で死去。
さらに、この事故によってネルソンの当時の婚約者、バンドのメンバー4人、バンドのロード・マネージャーも死去した。
死後の1987年にロックの殿堂入りした。
- 活動期間1952年 - 1985年
- レーベルインペリアル・レコード、デッカ・レコード、エピック・レコード、キャピトル・レコード
- 公式サイト http://www.rickynelson.com/
ウィキペディアより抜粋