Richard Marx
SONG | YEAR | LANK |
Now And Forever | 1994 | 25 |
Hazard | 1992 | 56 |
Take This Heart | 1992 | 81 |
Keep Coming Back | 1992 | 92 |
Right Here Waiting | 1989 | 11 |
Satisfied | 1989 | 54 |
Hold On To The Nights | 1988 | 24 |
Endless Summer Nights | 1988 | 31 |
Should've Known Better | 1988 | 47 |
Don't Mean Nothing | 1987 | 54 |
About Richard Marx
リチャード・マークス(Richard Marx、1963年9月16日 - )は、アメリカのシンガーソングライター。作曲家の父、ディック・マークスとその妻で歌手のルース・マークスの間に生まれ、10代のうちからライオネル・リッチーらに曲を提供していた。
1987年、セルフ・タイトル・アルバム「Richard Marx/リチャード・マークス」でデビュー。
ファースト・シングルとなった「Don't Mean Nothing」がいきなり全米チャートの3位に入るヒットとなり、大きな注目を集める。
その後、シングルカットされた「Should've Known Better」「Endless Summer Nights」も立て続けにチャートインさせ、4枚目の「Hold On to the Nights」で遂に全米ナンバーワン(2週連続)を獲得した。
これで完全にスターダムに乗り、セカンド・アルバム「Repeat Offender」からは、「Satisfied(2週連続)」「Right Here Waiting(4週連続)」と前作を上回るビッグヒットを飛ばした。
「Right Here Waiting」は当時、恋人だった妻シンシア・ローズへのラブレターに曲をつけたもので、自身最大のヒット曲となったことを契機に結婚した。
シンシア・ローズはポップグループ、アニモーション(en)のメンバーであり、女優。
映画「ダーティ・ダンシング」などに出演している。
初来日公演は、1988年2月。五反田・簡易保険ホールなどを回った。
デビュー以来、立て続けにヒットを飛ばしたリチャードは、1991年に満を持してアルバム「Rush Street」を発売。
第一弾シングル「Keep Coming Back」はあらゆるフォーマットのシングルレコードが準備されるほどだった。
また勝ち馬に乗りたいアーティストがレコーディングや発売記念パーティに集合した。
しかしながら、このアルバムは前2作のようなヒットに結びつくことなく、ヒットチャートからすべり落ちた。
第二弾シングル「Hazard」の後、「Take This Heart」をシングルカットしたが、時既に遅かった。これ以降、1994年にシングル「Now and Forever」が全米7位になるヒットがあったものの、アルバムのセールスは振るわなかった。
1990年代半ばよりプロデューサーとしての仕事に重きを置くようになり、自らの創作活動やコンサートツアーは減っている。
近年では、アイドルグループのイン・シンクやバックストリート・ボーイズに曲を提供。
2004年には、ルーサー・ヴァンドロスの「Dance With My Father」をルーサーと共作し、グラミー賞最優秀楽曲賞を受賞した。
ウィキペディアより抜粋