Olivia Newton-John

SONG YEAR LANK    
Twist Of Fate 1984 42    
Physical 1982 1    
Make A Move On Me 1982 84    
Suddenly  1981 91   & Cliff Richard
Magic  1980 3    
A Little More Love  1979 17    
Hopelessly Devoted To You  1978 35    
Have You Never Been Mellow  1975 36    
Please Mr Please  1975 49    
Let Me Be There  1974 26    
If You Love Me (Let Me Know)  1974 32    
I Honestly Love You  1974 97    
If Not For You  1971 76    

About Olivia Newton-John

オリビア・ニュートン=ジョンAO, OBE(Olivia Newton-John, 1948年9月26日 - )はイギリス生まれ、オーストラリア育ちの歌手、実業家。

1970年代から1980年代半ばにかけて数多くのヒット曲を放ち、世界的な人気を博した。

現在もレコーディング、コンサート、自社ブランドのオーナーなど、多方面で活躍する。

本来はオリヴィア・ニュートン=ジョンだが、日本では通常オリビア・ニュートン・ジョンと表記している。

公称身長167.5 cm(5フィート6インチ)。

 

イングランド・ケンブリッジ生まれ。

母方の祖父はアインシュタインとも親しかったドイツのノーベル賞受賞物理学者マックス・ボルン (Max Born)、ウェールズ人の父親はケンブリッジ大学のドイツ語教授であった。

5歳の時に父がオーストラリアの大学に移り、家族とともに移住。

14歳の頃から学友とバンドを組んで、バーなどで歌い始めた。

1965年、出演したオーディション番組で優勝。

その懸賞で英国に戻り、1966年にデビューした。

 

クリフ・リチャードのバック・コーラスなど下積みの時期がしばらく続いたが、1970年にヴァル・ゲスト監督による『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』Toomorrow で映画主演し、歌も披露。

1971年にボブ・ディランがジョージ・ハリスンに提供した曲のカバー『イフ・ノット・フォー・ユー』If Not For You がヒットしたのをきっかけにスターの階段をのぼり、可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で着実に人気を集めた。

1973年頃よりMOR、コンテンポラリー色を強め、1974年のシングル『愛の告白』I Honestly Love You が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞に輝いた。

1975年にアメリカに移住した後も『そよ風の誘惑』 Have You Never Been Mellow などのヒットを連発する。

 

女優としては1978年のミュージカル映画『グリース』でジョン・トラボルタと共演。

興行成績は大成功を収め、サントラからも『愛のデュエット』、アカデミー賞歌曲賞候補となった『愛すれど悲し』、『想い出のサマー・ナイツ』が連続ヒットし、押しも押されもせぬ世界的なスターとなる。

1980年の映画『ザナドゥ』に主演。

興行成績は不発に終わるも、サントラ曲『マジック』、ELOとの『ザナドゥ』、クリフ・リチャードとのデュエット『恋の予感』(日本ではシングルにならず『春風の誘惑』Suspended in Time がシングル・カット)がヒット。

トラボルタと再度共演した『セカンド・チャンス』のサントラ曲『運命のいたずら』、『ディスペレイト・タイムス』といったヒットを挟み、アンディ・ギブと『愛は微笑みの中に』など、AOR系のデュエット曲を発表。

 

1981年にはロック色を強め、アップテンポなディスコ調の『フィジカル』をリリース。

全米でビルボード10週連続1位、キャッシュボックス8週連続1位、1982年度の年間チャート1位という爆発的ヒットを記録する(エアプレイ中心のラジオ&レコーズでは『フィジカル』は1位にならず、ビルボード、キャッシュボックスで『フィジカル』に抑えられ2位どまりだったフォリナーの『ガール・ライク・ユー』が逆に1位を独走していた)。

当時のフィットネスブームを意識し、ミュージックビデオではレオタード姿でエアロビクスを踊るという強烈なイメージ戦略があたり、オリビアのセールスはこの頃にピークを迎えた。

しかし、その意味深な歌詞のせいもあって、保守色の強い州南部などの一部の放送局では、この曲の放送を自粛する動きも見られた。

 

1985年のシングル『ソウル・キッス』がミディアム・ヒットに終わってセールスが一段落すると、ポーランド人のダンサーであるマット・ランタッジとの結婚生活に入り、音楽界と若干の距離を置く。

その後、出産、乳癌手術などを経て、環境保護活動やがん啓蒙活動といった社会運動に取り組みはじめ、ユニセフ親善大使もつとめた。

 

1994年の音楽界復帰後は定期的なライブツアーを行なうほか、2000年のシドニーオリンピック開会式で「Dare To Dream」を披露した。

 

 

ウィキペデアより抜粋

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