Hollies
SONG | YEAR | RANK | |
The Air That I Breathe | 1974 | 50 | |
Long Cool Woman (In A Black Dress) | 1972 | 24 | |
He Ain't Heavy, He's My Brother | 1970 | 46 | |
On a Carousel | 1967 | 42 | |
Carrie Anne | 1967 | 64 | |
Bus Stop | 1966 | 45 |
About Hollies
ザ・ホリーズ(英: The Hollies)は、イギリスのロックバンド。
ホリーズというバンド名は、メンバーが好きだったバディ・ホリー(Buddy Holly)に由来するという説と、命名時期がクリスマスシーズンでヒイラギ(holly)に由来するという説、またその2つを掛け合わせたという説がある。
そもそもホリーズの始まりは、アラン・クラークとグラハム・ナッシュの2人が5歳の時にマンチェスター市内の小学校の同級生として出会ったことによる。
2人はあっという間に無二の親友となり、2人でギターを弾きながら歌うコーラス・デュオを結成。
その後一時的にバンド形式で活動するが、エヴァリー・ブラザーズの影響で再びギター・デュオに戻る。
その名も「リッキー・アンド・デイン(ヤング)」というこのデュオは徐々に活動の場を広げ、エリック・ヘイドックがベーシストとして在籍していた「カーク・ダニエルズ・アンド・デルタズ」との共演を経て、2人はヘイドックと意気投合し新バンドの結成を思い立つ。
そしてドラムのドン・ラスボーン、リードギターのヴィック・ファレルを加え、1962年に「ドミネイターズ・オブ・リズム」というバンドが結成された。
同年12月、マンチェスターの名門ライブハウス、オアシス・クラブに出演した際、楽屋で『バンド名の紹介はどうする?』とクラブの人間に問われたメンバーは、『そうだなぁ。
今夜はホリーズと紹介しておいてくれ』と答える。ホリーズ誕生の瞬間である。
当時の英国北部は、加熱するビートルズ人気を受けて『我こそはビートルズのような有望なアマチュアバンドを発掘し、第二のブライアン・エプスタインと成らん』と目論むマネジメント業界の人間がロンドンから大挙して押し寄せ、ちょっとした音楽バブルの様相を呈していた。
ホリーズのライブハウスへの出演を取り仕切るマネージャーのトミー・サンダーソンは、ジョージ・マーティンの弟子でEMIパーロフォンのプロデューサーだったロン・リチャーズへの口利きを約束した。プロデビューへの可能性にメンバーが沸き立つ中、唯一ファレルは安定した生活を捨ててプロになる事に難色を示し、バンドを脱退してしまう。
ギタリスト不在となったホリーズの急場を凌ごうとチーサムが目を付けたのは、マンチェスター近郊で活躍していたアマチュアバンド「ザ・ドルフィンズ」のギタリストで16歳のトニー・ヒックスだった。
1963年1月、ホリーズの演奏を観に訪れたロン・リチャーズは彼らの才能と可能性を確信し、すぐさまEMIのオーディションに呼ぶ。結果は大成功。
ホリーズは、EMIパーロフォンからのデビューが決定する。
1963年4月に、ホリーズのプロとして初のレコーディングが、アビイ・ロードにあるEMIスタジオで行われる。
ホリーズはその後、数多くの曲をこのアビー・ロード・スタジオで録音することとなる。
そして翌5月にシングル「(Ain't That) Just Like Me」でレコード・デビュー。
全英25位という幸先の良いスタートを切るが、ラスボーンの技量に満足していなかったリチャーズはドラマーの交代を勧め、ラスボーンはロード・マネージャーに転向。
新しいドラマーには、ヒックスの「ザ・ドルフィンズ」時代の僚友ボビー・エリオットが抜擢される。
ドラマーがエリオットに交代し、ホリーズは一気に加速を始める。11月に発表した3枚目のシングル「ステイ」が初の全英トップ・テン入りを果たし、翌64年1月に発売したファースト・アルバム「ステイ・ウィズ・ザ・ホリーズ」は、全英2位の大ヒットを記録する。
この人気により、デビュー1年未満の新人バンドでありながら、3月にはNMEポールウィナーズ・コンサート出演の栄誉を勝ち取ることとなった。
1967年、サイケデリック色の強いアルバム『エボリューション』、シングル『キング・マイダス』(作詞作曲はグラハム・ナッシュ)、翌1968年にはコンセプト・アルバム『バタフライ』を発表するがファンの反応は冷やかでこの件に加え次ぎのアルバムではボブ・ディランを取り上げることに時期尚早と難色を示したグラハム・ナッシュは同年末に脱退、ザ・バーズを脱退したデビッド・クロスビー、バッファロー・スプリングフィールドのスティーブン・スティルスと共にクロスビー、スティルス&ナッシュを結成、一方のホリーズは1969年早々にスインギン・ブルージーンズのテリー・シルヴェスターを加えアルバム『ホリーズ・シング・ディラン』を完成させる。
1968年には、大手町のサンケイホールと渋谷公会堂で来日公演を果たしている。
2010年、ロックの殿堂入りを果たす。
メンバー
アラン・クラーク (Allan Clarke) : Lead Vocal, Harmonica & Guitar (在1962年-1971年, 1973年-1978年, 1978年-1999年)
グラハム・ナッシュ (Graham Nash) : Rhythm Guitar & Vocals (在1962年-1968年, 1983年)
トニー・ヒックス (Tony Hicks) : Lead Guitar, Banjo, Sitar, Mandolin & Vocals (在1962年- )
エリック・ヘイドック (Eric Haydock) : Bass (在1962年-1966年)
ドン・ラスボーン (Don Rathbone) : Drums (在1962年-1963年)
ボビー・エリオット (Bobby Elliott) : Drums & Percussion (在1963年- )
バーニー・カルヴァート (Bernie Calvert) : Bass & Piano (在1966年-1981年)
テリー・シルヴェスター (Terry Sylvester) : LYTHEM Guitar & Vocals (在1969年-1981年)
ミカエル・リックフォース (Mikael Rickfors) : Lead Vocal, Harmonica & Guitar (在1971年-1973年)
アラン・コーツ (Alan Coates) : Guitar & Vocals (在1981年-2004年)
デニス・ハインズ (Denis Haines) : Keyboards (在1981年-1988年)
スティーヴ・ストラウド (Steve Stroud) : Bass (在1981年-1985年)
イアン・パーカー (Ian Parker) : Keyboards & Vocals (在1991年- )
レイ・スタイルズ (Ray Stiles) : Bass & Vocals (在1986年- )
カール・ウェイン (Carl Wayne) : Lead Vocal (在2000年-2004年)
スティーヴ・ラウリ (Steve Lauri) : Guitar & Vocals (在2004年- )
ピーター・ハワース (Peter Howarth) : Lead Vocal, Harmonica & Guitar (在2004年- )
- 活動期間 1962年 - 現在
- レーベル パーロフォン、エピック
- 公式サイト HOLLIES Official Website
ウィキペディアより抜粋