George Michael
SONG | YEAR | LANK | ||
Fastlove | 1996 | 62 | ||
Too Funky | 1992 | 58 | ||
Don't Let The Sun Go Down On Me | 1992 | 26 | & Elton John | |
Freedom 90 | 1991 | 95 | ||
Praying For Time | 1990 | 52 | ||
Faith | 1988 | 1 | ||
One More Try | 1988 | 11 | ||
Father Figure | 1988 | 27 | ||
Monkey | 1988 | 45 | ||
Kissing A Fool | 1988 | 91 | ||
I Want Your Sex | 1987 | 24 | ||
I Knew You Were Waiting | 1987 | 36 | & Aretha Franklin | |
A Different Corner | 1986 | 98 |
About George Michael
ジョージ・マイケル (George Michael、1963年6月25日 - )は、イギリス出身のシンガーソングライター。
本名:ヨルゴス・キリアコス・パナイオトゥー (Georgios Kyriacos Panayiotou, Γεώργιος Κυριάκος Παναγιώτου)。
ポップデュオワム!での活動の後、ソロシンガーとしても成功をおさめた。
「Q誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」において第74位。
1975年、ブッシー・ミーズ・スクールに入学し、アンドリュー・リッジリーと出会う。
1979年、エグゼクティブ結成(メンバーは、ジョージ・マイケル、アンドリュー・リッジリーの他、アンドリューの兄のポール・リッジリー、デヴィッド・オースティン、アンドリュー・リーヴァーの5人)。
複数のレコード会社に持ち込むが相手にされず、後に解散する。
1981年、アンドリュー・リッジリーと「ワム!」を結成、『Wham! Rap』 にてデビューし、数々のヒットを飛ばしたが、才能のあるジョージはソロでやっていくことを強く希望するようになり、解散が決定する。
1986年6月28日、ウェンブリー・アリーナにてワム!解散コンサート。
以後、ソロ活動を開始する。
1986年、アレサ・フランクリンのアルバム『Aretha』に参加して「I Knew You Were Waiting (For Me)」をデュエット。この曲は1987年にシングル・カットされて全英・全米チャートの両方で1位を獲得する。
1987年、1stアルバム 『Faith』 発売。記録続きの大ヒットとなる。この時に作った数々の記録として、Faithツアー(1988年)が、アメリカでのその年のヒット商品に選出。“一番セクシーなお尻”(男性部門・1988年)に選出。Billboard アルバム部門年間チャート1位(1988年)。シングル部門年間チャート1位(『Faith』 1988年)。白人アーティストとして初のブラックアルバムレギュラーチャート1位(1988年)。1988年、2月19日の東京・日本武道館公演からFaithワールド・ツアーがスタート。
1990年、2ndアルバム『Listen Without Prejudice Volume.1』発売。
しかし、前作ほどのヒットにはならず。
ジョージ・マイケル個人としてはアルバムの出来に満足していたが、前作ほど所属レーベルがプロモーションに力を入れなかったこともあり売れ行きは鈍く、しかもレーベル会社のソニーは商業的に前作を下回った為に酷評をする(酷評したのは当時のソニ-の社長、トミー・モトーラという)。
これに怒ったジョージ・マイケルは、「ソニーはアーティストをアーティストとして扱わない。
こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」と、ソニーを相手に契約無効を訴える裁判を起こす。
本来2枚組になる予定だった『Listen Without Prejudice』は、2枚目の制作が間に合わず、先行して1枚をvol.1として発売。
「Crazyman Dance」、「Happy」など収録予定だったアルバム『Listen Without Prejudice Volume.2』を出す予定だったが、この泥沼化した裁判により、発売が無くなってしまう。
後に「Happy」は、エイズ・チャリティ・アルバム『Red Hot + Dance』に収録して発表。
「Crazyman Dance」は、上記『Red Hot+Dance』に提供した新曲「Too Funky」のシングルのカップリングとして発表した。
また、このアルバム発売後、ワールドツアー「COVER TO COVER TOUR」を日本より行う。
タイトルの示すとおり、ツアーの選曲内容は、半分以上が他のアーティストが歌ったカバー曲で選曲されており、オリジナル曲もワム!時代の曲を織り交ぜたりと、ソロデビュー後の曲は殆ど歌われなかった。
カバーの選曲がツアーで廻ったアメリカやヨーロッパでは有名な曲ばかりだったが、日本ではそれらの曲を殆ど知らない客が多かった為、評論家からは酷評された。
このツアー以降、本人は「ツアーは行わない」と発言し、長年ツアーを行っていなかったが、2006年9月よりヨーロッパツアーを開始。
- 活動期間1979年 -
- 公式サイトwww.georgemichael.com
ウィキペデアより抜粋