Bon Jovi
SONG | YEAR | RANK |
Who Says You Can't Go Home | 2006 | 71 |
Always | 1995 | 17 |
This Ain't A Love Song | 1995 | 70 |
Bed Of Roses | 1993 | 57 |
Blaze of Glory | 1990 | 10 |
I'll Be There For You | 1989 | 23 |
Born To Be My Baby | 1989 | 39 |
Lay Your Hands On Me | 1989 | 82 |
Bad Medicine | 1988 | 41 |
Livin' On A Prayer | 1987 | 10 |
Wanted Dead Or Alive | 1987 | 74 |
You Give Love A Bad Name | 1986 | 30 |
About Bon Jovi
1984年 - アルバム『夜明けのランナウェイ』でデビュー。
キーボードを多用したメロディアスな楽曲で、デビュー当初は本国アメリカよりも日本で人気を集める(俗に言うビッグ・イン・ジャパン。これが日本贔屓になった理由らしい)。
なお、リード・トラック「夜明けのランナウェイ」は、1985年に麻倉未稀により日本語でカバーされ、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された。
またドラマで主演した伊藤かずえもカバーしている。
1985年 - 2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』を発表。
タイトルの7800°とは、岩(ロック)をも溶かす温度である。
アルバムに収録されている「TOKYO ROAD」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。
アルバム曲の中で離別の寂しさを歌った曲が多いのは、1stアルバムの成功で生活が一変しメンバー全員が別れを経験したためであると言われている。
1986年 - 3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』を発表。
ビルボードチャートで8週連続全米1位となり、1987年年間チャート第1位を獲得する。
シングル「禁じられた愛」と「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」は、優れたプロモーション・ビデオとMTVによる強力なプッシュもあってビルボードシングルチャート1位を獲得し、アルバムは全世界で2,800万枚をセールスするなど一躍世界的な人気を得る。
この年に開催された日本公演のうち、青森公演はボン・ジョヴィの来日公演の中で最も人口が少ない都市での公演である。
1988年 - 4thアルバム『ニュージャージー』を発表し、全米・全英チャートで1位を獲得する。
また、シングル「バッド・メディシン」と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」も全米シングルチャートで1位を記録。
日本でも第3回日本ゴールドディスク大賞アーティスト・オブ・ザ・イヤーなどを獲得する。
しかし、2年にも及ぶ過酷なロング・ツアーと連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、解散の危機が騒がれる様になる。
1990年 - ジョンの1stソロ・アルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』が全米チャート1位を獲得する。
1992年 - 解散の危機を乗り越えて、5thアルバム『キープ・ザ・フェイス』を発表。
アメリカではニルヴァーナをはじめとするオルタナティブ・ロック全盛期の中にあり、ボン・ジョヴィもチャート・アクションは以前より苦戦を強いられたが(全米チャート5位)、カナダやヨーロピアンチャートでは年間1位の売上を記録。
日本でもヒットし健在ぶりをアピールした。
1994年 - デビュー10周年を記念してベスト・アルバム『クロス・ロード』が発売された。
アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「Prayer '94」が、日本盤には「TOKYO ROAD」が、インターナショナル盤には「IN THESE ARMS」が収録されている。
このベスト・アルバムは世界的に大ヒットし、日本では初のオリコンチャート1位を獲得した。
アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」もリカットされてヒットした(全米チャート4位)。
しかし、『クロス・ロード』発表後にベースのアレック・ジョン・サッチが脱退する。
脱退の理由は揉め事ではなく、アレックがアメリカ国内でバイク屋を営みたいというのが主な理由であった。
後任のベーシストとして、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドを招く。
ヒューは、ティコの強い推薦により参加したようだが、正式メンバーではなくサポート・メンバーである。
これは、アレックとメンバーとの友情によるものであり、正式な後任メンバーは迎え入れない方針と言われている。
1995年 - 5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演が開催された。
6月、6thアルバム『ジーズ・デイズ』を発表。
全体的にダウンビート調な曲が多くR&Bに影響を受けて作られた。
日本では2作目のオリコンチャート1位を獲得する。
2000年 - およそ5年ぶりとなる7thアルバム『クラッシュ』を発表。
リード・トラックのシングル「イッツ・マイ・ライフ」が世界的にヒットする。
アルバムにはJ-FRIENDSに提供されて1999年12月22日に発売されたシングル「Next 100 Years」のセルフカバーや、テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌に起用された「サンキュー」が収録されている。
2001年 - 初のライブ・アルバム『ワン・ワイルド・ナイト』を発表。
2002年 - 8thアルバム『バウンス』を発表。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けて制作された曲が多いアルバムとなった。
日本ではアルバム収録曲の「バウンス」がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」がアサヒ「スーパードライ」のCMソングに起用された。
2003年 - 1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて洋楽アーティスト初となる5大ドームツアーが開催された。
ワールド・ツアー終了後は、これまでのヒット曲をアコースティックにアレンジしたアルバム『ディス・レフト・フィールズ・ライト 〜バック・アット・ザ・クロス・ロード』を発表した。日本盤にはインターナショナル盤+2曲のボーナス・トラックが収録された。
2004年 - デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、未発表音源を多数収録した4枚組CD-BOX『ザ・プレミア・コレクション 〜100,000,000 ボン・ジョヴィ・ファンズ・キャント・ビー・ロング』を発表する。
未発表曲に加えて、リッチーのソロナンバーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっているレアな曲まで収録されている。
2005年 - 9月に3年ぶりとなる9thアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』を発表し、1995年に発売された『ジーズ・デイズ』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。
リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」もオリコンシングルチャート10位となり、洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りしたのが23年ぶりとなる快挙となった。
2007年 - 第49回グラミー賞において、「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)がBest Country Collaboration With Vocals部門を受賞した。
6月には10thアルバム『ロスト・ハイウェイ』を発表し、通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得する。
これによりビートルズ、ベイ・シティ・ローラーズの記録を抜いて、洋楽バンドとしてオリコンアルバムチャート首位獲得数歴代単独1位になった。
また、ビルボードチャートでも『ニュージャージー』以来19年ぶりとなる1位を獲得し、初めて日米同時にチャート1位となった。
2009年 - 11thアルバム『ザ・サークル』を発表する。
リード・トラックの「ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー」はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された。
アルバムは3作連続となるオリコンアルバムチャート1位を獲得した(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初である)。
また、通算5作目のアルバム首位獲得はサイモン&ガーファンクル、マライア・キャリーと並び洋楽アーティスト歴代1位タイとなった。
さらに、ビルボードチャートでも1位を獲得した(全英アルバムチャートは2位であった)。
2010年 - 11月に『クロス・ロード』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』を発表。
「禁じられた愛」が日清食品「カップヌードル」CMソングに起用された。
11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた。
2011年 - 東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』に参加する。
ワールド・ツアー最終地のポルトガル公演を最後に、2年間の活動休止が発表された。
2013年 - 3月に12thアルバム『ホワット・アバウト・ナウ』を発表。
『Because We Can Tour』は2月から開催されていたが途中でリッチーが不参加となり、2011年にも代役を務めたフィルXが再び参加した。
2014年 - デビュー30周年を迎えた。
- 活動期間 1984年 -
- レーベル アイランド・レコード、マーキュリー・レコード
- 公式サイト Bon Jovi
ウィキペデアより抜粋