Babyface
SONG | YEAR | RANK | |
Every Time I Close My Eyes | 1997 | 26 | |
When Can I See You | 1994 | 26 | |
Never Keeping Secrets | 1994 | 67 | |
And Our Feelings | 1994 | 97 | |
Whip Appeal | 1990 | 83 | |
It's No Crime | 1989 | 90 |
About Babyface
ベイビーフェイス (Babyface、本名:ケネス・ブライアン・エドモンズ (Kenneth Brian Edmonds)、1958年4月10日 - ) は、アメリカのR&B歌手、作曲家、音楽プロデューサー。インディアナポリス出身。
970年代から1980年代半ばにかけては、マンチャイルド、ザ・ディールなどのバンドメンバーとして活動していた。
ザ・ディールにおいては自身のボーカルによるヒット曲も生んでいる。
ザ・ディールで活動を共にしたアントニオ"L.A."リード(現Island/Def Jam Music Group会長)と共同で音楽プロデューサーとして1980年代中盤から活動を開始、ウィスパーズ、ペブルズなどのヒット曲で頭角を現し、その後、ボビー・ブラウン、ホイットニー・ヒューストン、Boyz II Men、TLC、トニ・ブラクストン、セリーヌ・ディオン、マライア・キャリー、エリック・クラプトン、マドンナ、ジェイ・Z、Foxy Brownなどの楽曲のプロデュースでヒット曲を連発した。
特に、Boyz II Menに提供した"End Of The Road"はビルボードシングルチャートで連続13週、"I'll Make Love To You"は同連続14週もの間No.1を記録するメガヒットとなり、プロデューサー・ベイビーフェイスの名を不動のものとした。
グラミー賞において、作曲家・プロデューサーとして、ベストR&Bソング、ベストプロデューサー、レコード・オブ・ザ・イヤーなどを幾度も受賞している。
ベイビーフェイス自身も80年代後半からソロシンガーとして活動しているが、評価は今ひとつで、プロデュース業に比べると大きな成功は手にしていない。
芸名は、ザ・ディール時代にブーツィー・コリンズから「童顔」(Babyface)と呼ばれたことに由来する。
妻トレーシーとは共にレーベル設立や映画製作を行ってきたが、2005年10月に離婚。13年間の結婚生活であった。
ベイビーフェイスの兄弟の二人はL.A.リードの従兄弟と共にアフター7として活動していた。その内のひとりであるケヴォン・エドモンズはアフター7解散後ソロシンガーとして活動している。
それらの活動のいずれにもベイビーフェイスが楽曲提供やプロデュースで関与している。
主に、シンガーとしてのほかに、ピアノ・キーボード、ギター全般、プログラミングを一人でこなし、作詞、作曲、編曲、プロデュースも一人でこなすマルチプレイヤーである。曲によっては共作も多く行う。
1980年代から1990年代初頭にかけては、活動を共にしていたL.A.リード(彼はザ・ディールにおいてはドラマーであった)の影響もあり、リズムとビートを強調したダンスナンバーか、コンテンポラリー色の強い都会的なラブバラードが中心だったが、1990年代中頃にL.A.リードとのコンビ活動を解消すると、1993年の自演曲"When Can I See You"や、1996年のエリック・クラプトンに対するプロデュース曲"Change The World"に代表されるような、アコースティックでフォーキーなミディアム/スロー中心というスタイルに傾いていった。
それでもプロデュースで提供する曲は、現在に至るまでも幅広く、アップからミディアム、スロージャムまで幅広くこなす。
マドンナの最大のヒット曲「Take A Bow」では東アジア・テイスト、Chrisette MicheleのBest of Meではボサノヴァ・テイストと、R&Bのカテゴリーに収まらない曲調でも才能を発揮している。
自身のパフォーマンスする楽曲に関しては、スロージャムの割合が多い。
近年は自身のシンガーとしての活動に重点をおいている。
- 活動期間 1986–present
- レーベル Epic,Arista,Island Def Jam
- 公式サイト http://www.babyfacemusic.com/
ウィキペディアより抜粋