ABBA
SONG | YEAR |
RANK |
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The Winner Takes It All | 1981 | 23 | |
Take A Chance On Me | 1978 | 32 | |
The Name Of The Game | 1978 | 97 | |
Dancing Queen | 1977 | 12 | |
Knowing Me, Knowing You | 1977 | 97 | |
Waterloo | 1974 | 49 |
About ABBA
ABBA(アバ)は、世界的に知られる、スウェーデンのミュージシャン男女4人グループである。
1970年代半ばから1980年代初頭にかけて活躍した。
マドンナやレディー・ガガなど多くのアーティストがABBAの影響を受けたと語っている。
1970年代には、ヨーロッパやアメリカ、オーストラリア、日本での人気は絶大で、シングルとアルバムの総売り上げは3億7,000万枚を超え、世界で最も売れたアーティストに名を連ねている。
2010年に、ロックの殿堂入りを果たした。
グループ名の由来は、メンバー4人の頭文字を取ったもの。
元々は、「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」という長い名前だったが、ある日マネージャーのスティーグ・アンダーソンが、何かの書類に彼らの名前を記入する際に、適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことから、それがグループ名になった。
ビョルンとベニーが曲を作り、アグネッタとフリーダが歌う(一部、ビョルンが歌っているものもある)。
1972年に、ビョルン&ベニー名義で「木枯らしの少女」が日本でヒットした。
その後、ユーロビジョン・ソング・コンテスト1974での優勝をきっかけに、「恋のウォータールー(Waterloo)」が大ヒットし、ヨーロッパ中で知名度が高くなった。
さたにABBAは、「SOS」がイギリスを含む全ヨーロッパで大ヒットした。
また、オーストラリアは、早くからABBAの人気に火が付いた地域で、後述の「ダンシング・クイーン」がヒットするまで「世界で一番熱心なABBAマニアはオーストラリア」と言われていた。
1976年に、「ダンシング・クイーン」が全世界的にヒットし、その後「ザッツ・ミー」や「テイク・ア・チャンス」「きらめきの序曲」「チキチータ」「ザ・ウィナー」など、活動を停止するまで世界的なヒット曲を連発した。
また、「ヴーレ・ヴー」「ギミー!ギミー!ギミー!」などのヒット曲でヨーロピアン・ディスコ・ミュージックを確立し、70年代後半のヨーロッパでは、ABBAの大成功に刺激されたニュートン・ファミリーやアラベスク、ザ・ドゥーリーズ、ノーランズ、ジンギスカンなど、所謂“キャンディポップ”(和製英語)と言われる、ヨーロピアン・ディスコのフォロワーを大勢産み出した。
グループが活躍していた当時、アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは夫婦で、ファミリーチームとしての親しみやすさ、安心感から「健全なアーティスト」のイメージが定着し、彼らの世界進出に一役買った。
アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚(それぞれ1979年と1981年)。
グループは1982年、新曲として6曲を録音。
年末に「最後のテレビ出演」を果たす。
そして1983年、活動を突然停止。事実上解散に。
解散から約10年後の1992年、英国のグループであるイレイジャーによって発表された"アバエスク"("ABBA-ESQUE"、"ABBA"と"ESQUE(~風)"を引っ掛けた合成語、ABBA楽曲の全面的なカヴァー盤)が火付け役、嚆矢となったリバイバルブーム、再評価の動きが起きた。
さらに、1992年に発売のベスト・アルバム「ABBA GOLD」が全英1位を獲得、世界中で3,000万枚近くのロングセラーとなり、現在も衰えぬ人気を見せつけた。
また、ABBAの代表曲を網羅したミュージカル『マンマ・ミーア! 』は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続けており、日本では劇団四季が四季版『マンマ・ミーア!』を上演している。2008年には映画化もされ、日本でも2009年1月30日に公開された。
2013年5月6日、ストックホルムに記念ミュージアム"ABBA THE MUSEUM"が開館した。
メンバー
アグネッタ・フォルツコグ(Agnetha Fältskog)
ビョルン・ウルヴァース(Björn Ulvaeus)
ベニー・アンダーソン(Benny Andersson)
アンニ=フリッド・リングスタッド(Anni-Frid Lyngstad)
- 活動期間 1972年〜1982年
- レーベル ポリドール、アトランティック、RCA、ユニバーサルミュージック、ポリグラム
- 公式サイト www.abbasite.com
ウィキペディアより抜粋